ども!ちく(@chikuchanko)です。
2021年9月6日、我が家のコザクラインコ りょうくんが虹の橋を渡っていきました。
14年、天寿を全うし、最期は老衰で旅立っていきました。りょうくんとの思い出を振り返っていこうと思います。
目次
ちく家の鳥さん事情
まず大前提として我が家の鳥さんたちの家族構成などの説明を簡単に説明したいと思います。
我が家には2021年9月現在、6羽(コザクラ3羽/オカメ1羽/セキセイ1羽/文鳥1羽)の鳥さんがいます。りょうくんが虹の橋を渡り、5羽になりました。
鳥さんたちのお世話をするのは一緒に暮らしている私の母(鳥さんたちのママ)です。私は実家暮らしではなく、旦那と別の処に暮らしていて1ヶ月に2~3回くらいの頻度で鳥さんたちに会いに実家に帰ります。
6羽のうち、セキセイと文鳥と一番若いコザクラ以外の鳥さんたちは私が実家を出る前から一緒に暮らしていたので、顔を覚えていてよくなついています。私が実家を出た後に来た鳥さんたちも、よく会いに行くので顔を覚えてくれていて、なついてくれました。
この他に実家には私の父やおばあちゃんも暮らしていますが、基本的に鳥さんたちが懐いているのは私の母だけです。お世話してくれる人のことが一番好きみたい。
中には普段は離れていても私のことが一番好き!と甘えてくれる子もいます。基本的に鳥さんたちはちく派/ちくママ派/どっちも好き派に分かれています。人間側としてはみんな可愛くて同じくらい大好きな子たちですが、鳥さんたちは自分の感情に素直なので、態度に露骨に現れます。そんなところも含めて全部可愛いのが鳥さんなんですよね~!!!
ちく
小さな頃はご飯を食べさせてあげていました
りょうくんは、まだ飛べないくらい小さな雛の頃、我が家にやってきた鳥さんです。まだスマホが普及していない頃にやってきたので、昔はガラケーでりょうくんの写真を撮っていました。
この頃のりょうくんはまだお顔が薄いピンク色でくちばしが黒かった!ノーマルのコザクラのひなって、こういう色なんですよね。懐かしいなぁ
大人になると、体は緑、お顔は赤になるんです。
りょうくんは、先に来ていた同じコザクラインコのちびちゃんより食が細くて、昔は体の弱い子なのかな?と思っていたのですが、今思えばちびちゃんが食べるの大好きで食欲旺盛だったんですよね。
りょうくんの食べる量が普通だったのです。ご飯を食べさせたあとは、抱っこタイムが昔のルーティンでした。
まだ飛べない頃にテーブルの上から、私や母の手の中に抱っこして欲しくて、ジャンプして飛んできたのです。甘えん坊さんで可愛い!
とってもおとなしい男の子
りょうくんはおとなしい男の子でした。周りの鳥さんたちがみんな、ごはんちょうだい!ケージから出して!あそぼ~!とアピールしていても、りょうくんはつぶらな瞳で「出して」と表情でアピールするタイプの子でした。
一緒にいるコザクラインコのちびちゃんは、とても気が強い女の子で、いつもりょうくんはちびちゃんに好きだよ、とアピールしても、ケンカを売っていると勘違いされてちびちゃんに怒られ、ケンカをして負けてしまうのです。
ひとりで遊ぶときは、紙をよくかじります。
10年を越え、りょうくんはどんどん老いていきました
年老いてきたりょうくんは、体の一部が緑色ではなく黄色の羽になってきました。人間でいう白髪かな?
そして、よく寝るようになりました。インコは老鳥になってくると、寝る時間が多くなります。老鳥さんには無理をさせてはいけないので、寝たいときに寝て、ごはんを食べたいときに食べる、元気な時は一緒に遊ぶ、無理はさせない、と言う気持ちの中で、母は毎日お世話していました。
りょうくんは母に抱っこして撫でられるのが大好きなので、抱っこは毎日していたそうです。数年間こんな生活をしていました。
りょうくんが旅立つ1年半前にセキセイインコのむーちゃんが我が家にやってきました。むーちゃんはなぜかコザクラインコだけを目の敵にしていて、りょうくんのケージにケンカを売りに行ったり、隣のちびちゃんのケージにケンカを売りに行ったりする子です。
この時のりょうくんは目つきが変わり、むーちゃんに応戦していました。
しかもりょうくんがいつも勝つ!何度負けてもむーちゃんはりょうくんにケンカを売りに行っていました。
年老いても、りょうくんは嚙む力は強かったので、むーちゃんがけがをしないように見守って、危なそうならケンカを母か私が止めに入っていました。
猛暑から突然寒くなった日、りょうくんは一気に弱りました
2021年、8月まで猛暑日が続いていてめっちゃ暑かったですよね。9月になって一気に1日の最高気温が10度くらい下がる日が続き、人間でも体調不良になりそうな気温差の日々が続きました。
そんななか、りょうくんは一気に弱ったそうです。母から突然ラインで連絡が来ました。
普段から寝てばかりだったけど、ごはんはしっかり食べていたのに、ごはんを食べる気力もなくて、ケージの隅でうずくまっていたそうです。
心配で抱っこをしたら、りょうくんの体は冷たくて、体温調節がうまくできなくなっていたそうです。
我が家はかかりつけの鳥さんの医者があるのですが、家から片道30分以上かかる場所にあり、年老いてきたりょうくんには往復1時間の車移動は体力が持たないと判断し、母は、もう老体ということもあり、自然にまかせることに決めたそうです。
この連絡を受けた次の日、とにかく心配で私はりょうくんに会いに行きました。
するとりょうくんはくちばしが血まみれで、ケージの下には血便がたくさんおちていました。
母に聞くと、今朝から血便になって、血便が気になったりょうくんが自分のおちりをくちばしでいじるので、くちばしが血まみれになってしまったそうです。
この姿を見て、なにもしてあげられないことが本当に悔しくて、つらくて、涙が出ました。
この前まではいつも通りだったのに、寒暖差でこんなに一気に弱ってしまうなんて。でも、お年寄りで体がうまく機能していかなくなることは仕方のないことなんですよね。
でも、つらそうな痛々しい姿を見たら、やっぱり辛かった。
母はとても強い人なので、辛そうなりょうくんを抱っこして、くちばしの血を拭いて、いつものように抱っこして撫でていました。
この時、りょうくんは甘える体力もなくて、でも嬉しかったようで、小さく甘えた声で鳴いていました。
心配ですが、私は何もできず、りょうくんに声をかけて、その日は帰りました。
それから2日後、また会いに行ったら、血便が止まって、ごはんもがつがつ食べるようになったと聞き、実際に私が見た時もりょうくんはごはんを食べていました。
ごはんを食べたら、いつもように止まり木で眠る。老鳥のりょうくんのいつもの様子に戻っていたので、りょうくんが元気になって良かったと安心してその日は帰りました。
りょうくん最期の日
元気になったと思った次の日の朝、母からラインが来ました。
りょうくんは、朝、静かに眠るように息を引き取った、と。
最後の様子を見ていた母は、お年寄りの幸せな逝き方で旅立っていったと言っていました。
ラインを見ただけで、涙が止まりませんでした。やっぱり、何度経験しても、愛鳥とのお別れはどんな形でも寂しくて。
今思えば、昨日見せてくれた姿は、りょうくんなりの最後の強がりだったのかな、と思います。
私は最期を看取ることは出来なかったけど、一番大好きな母に最期に看取ってもらえて、りょうくんはきっと幸せだったと思います。
最期は老衰だったので、病気ではなかったのが本当にせめてもの救いでした。
りょうくん、だるいのも苦しいのもなくなったね、体が軽くなって、若い頃みたいにたくさん飛べるようになったかな。虹の橋の向こうにもうついているかな。先に虹の橋を渡った子たちと合流して、向こうで楽しく暮らしているかな。
りょうくんが旅立つその時まで、幸せだったかな。私はりょうくんと家族になれて、とっても幸せだよ。うちに来てくれてありがとう。
これからもずっとずっと大好きだよ。