ども!ちく(@chikuchanko)です。
2020年11月15日、我が家のオカメインコ ぽこちゃんが虹の橋を渡っていきました。
我が家に来てまだ5年弱、もうすぐ6年と言うあまりにも短すぎる鳥生でした。
ぽこちゃんとの思い出を書いていこうと思います。
目次
ちく家の鳥さん事情
まず大前提として我が家の鳥さんたちの家族構成などの説明を簡単に説明したいと思います。
我が家には2020年11月現在、6羽(コザクラ2羽/オカメ2羽/セキセイ1羽/文鳥1羽)の鳥さんがいます。ぽこちゃんが虹の橋を渡り、5羽になりました。
鳥さんたちのお世話をするのは一緒に暮らしている私の母(鳥さんたちのママ)です。私は実家暮らしではなく、旦那と別の処に暮らしていて1ヶ月に2~3回くらいの頻度で鳥さんたちに会いに実家に帰ります。
6羽のうち、セキセイと文鳥以外の鳥さんたちは私が実家を出る前から一緒に暮らしていたので、顔を覚えていてよくなついています。私が実家を出た後に来た鳥さんたちも、よく会いに行くので顔を覚えてくれていて、なついてくれました。
この他に実家には私の父やおばあちゃんも暮らしていますが、基本的に鳥さんたちが懐いているのは私の母だけです。お世話してくれる人のことが一番好きみたい。
中には普段は離れていても私のことが一番好き!と甘えてくれる子もいます。基本的に鳥さんたちはちく派/ちくママ派/どっちも好き派に分かれています。人間側としてはみんな可愛くて同じくらい大好きな子たちですが、鳥さんたちは自分の感情に素直なので、態度に露骨に現れます。そんなところも含めて全部可愛いのが鳥さんなんですよね~!!!
ちく
雛の頃のぽこちゃん
まだ自分でご飯を食べることが出来ないくらい小さな頃にやってきたぽこちゃん。あどけない表情がとっても可愛い!!!
今更ですが、ぽこちゃんの名前の由来は、お腹がぽこっと出ているから。
お腹がいっぱいになった時のぽこちゃん。こんな感じで満腹になった時のぽこっと出たお腹が名前の由来なのです。
ぽこちゃんが我が家に来る前から同じオカメインコのはくちゃんがいました。はくちゃんも同じオカメインコのルチノーでしたが、肝機能障害によって、前身クリーム色の薄毛インコちゃんになってしまいました。はくちゃんも通院している子ですが基本的にとっても元気!ぽこちゃんがやってきた頃、はくお姉ちゃんとして、ぽこちゃんのお世話を一緒にしてくれました。
ちく
ぽこちゃんはとっても可愛い女の子
どんどん成長するぽこちゃん。すっごく可愛くてたくさん写真を撮りました。
ママに抱っこされるのが大好き!
先ほども書きましたが、ぽこちゃんはちくママ派のオカメちゃんです。とにかくママが大好き!ママに抱っこされて撫でられている時が一番幸せそうな表情なのです。
ぽこちゃんにとって毎日、ママに抱っこして撫でてもらうのが幸せな時間でした。ママの姿を見ると、ケージの入口で出して~、撫でで~、と催促するくらい大好きだったのです。
ママ以外は触らないで!
ぽこちゃんはママ以外の人間のことはみんな嫌いです。さっきまでの写真とは別人!?と思えるくらい表情が変わります。
そんなぽこちゃんですが、ママの抱っこ&なでなでに夢中になりすぎると、他の人間が近付いていることに気付かないことも。
怒った表情も可愛いし、何より私がどんなに冷たくされてもぽこちゃんのことが大好きなので、かまっているのでした。
はじめての抱卵で癒着、麻酔なしで手術をしました
タイトルの通りです。ぽこちゃんが家族になって3年目くらいの頃、発情して無精卵を抱卵しました。
はじめての抱卵で、どうやったら外に出せるのかよくわからなかったようで、ぽこちゃんはうまく卵を産むことが出来ませんでした。そこで、いつも我が家の鳥さんたちがお世話になっているかかりつけ医の先生に見てもらいにいくと、体に卵が癒着してしまったので、手術して取り出さなければならないとのこと。
以前、ぽこちゃんのお姉ちゃんインコ はくちゃんが別の病院で全身麻酔をした後遺症で知的障がいになってしまった経験があったので、母が出来れば麻酔なしで手術してほしい、と言う旨を伝え、そのまま麻酔なしでぽこちゃんは手術をしました。
結果、うまく卵を取り出すことが出来たのでよかったのですが、麻酔なしって本当につらかったと思う、ぽこちゃん頑張ったね。この時の様子は以前、記事にしているので、もっと詳しい様子などはこちらの記事をご覧ください。
ちなみに、はくちゃんは現在も元気です!知的障がいと肝機能障害があり、定期的に通院して薬をもらわなければいけない体ですが、毎日のびのびと暮らしていて、ぽこちゃんにとって頼れるお姉ちゃんです。
肺炎になって体調が一気に悪くなりました
1年くらい前、ぽこちゃんが突然苦しそうに息をはぁはぁしている日があったそうです。心配になり、病院へ連れて行くと、肺炎になっているとのことでした。呼吸器が弱っているので、吸入器で吸入をし、薬を飲んで様子を見ることに。
吸入をした後は元気になり、普段通りに過ごしていました。
それでも、一度肺炎になってしまうと、肺が弱ってしまうので苦しそうに過ごす日もあったそう。2020年の秋頃になり、苦しそうな日が増えていきました。
心配になり、病院にも行き、吸入をしたり薬を出して貰いました。
あとはぽこちゃんの生命力を信じるしかない、肺炎になってから、そんな状態が続いていました。
2020年11月、一気に朝と昼の寒暖差が大きくなり、朝や夜は寒い日が続くようになりました。この頃からぽこちゃんはご飯を食べてはいるものの、体重は減る一方で、抱っこすると体が冷たいので、温かい手のぬくもりに癒されることが多くなりました。
苦しくても、ぽこちゃんは毎日、大好きなママを見ると「だっこして~」「撫でで~」と甘えん坊さんで、幸せに暮らしていました。
ぽこちゃんの最期の日
2020年11月15日、私は朝から実家に帰り、鳥さんたちと遊んでいました。母はお洗濯をしに外へ出ていました。
私が行った時点で、ぽこちゃんはすごく呼吸が苦しそう。呼吸をする度に「キュイ…キュウ…」と言うような声を出していたのです。今までで一番辛そうなぽこちゃんを見て「大丈夫?辛いね、お洗濯終わったらママに抱っこして貰おうね」と、声をかけていました。
ぽこちゃんに声をかけながら、他の鳥さんたちに抱っこをせがまれてたので撫でていると、突然ぽこちゃんが羽を広げて、横になり、倒れました。この時、この子は最後の気力を振り絞っているんだな、と感じて、洗濯中の母を急いで呼びに行きました。せめて、最期は母の手の中で逝ってほしかったから。
急いでやってきた母、外にいたので手が冷たいままでしたが、ぽこちゃんをケージから出して抱っこしました。かろうじて、まだなんとか呼吸をしていたぽこちゃんを抱きかかえた母が「ずっとぽこちゃんはお母さんの子だよ。大好きだよ、ぽこちゃん。手が冷たくてごめんね。」とずっと声をかけていました。
あっという間にぽこちゃんは動かなくなりました。「もう苦しいのなくなったね、ぽこちゃんお疲れさま。これからもずっと大好きだよ。」と母は動かなくなったぽこちゃんに語りかけました。
私はただただ隣でその様子を見ながら大号泣。どうすることも出来なくて、逝ってしまうのが悲しくて、でもぽこはママのことが大好きだから、最期はママのことだけ感じて欲しくて、とにかく色んな気持ちがぐちゃぐちゃになって、涙がとまりませんでした。
母はぽこちゃんが逝ってしまった後も、優しく抱っこして、すぐお庭の花壇に埋めてお見送りしました。ママ派の子が1羽いなくなって寂しくなるね、と言っていました。
今までも大好きな鳥さんたちとのお別れは経験しましたが、今回初めて手の中で眠りにつくところを見ました。せめて、こうして大好きな人の手の中で旅立って行ったのは救いだと思います。それでもお別れは何度経験しても悲しい。私は泣いてしまいます。
それでもこれを書いているのは、後悔しないため、同じ鳥飼いさん、鳥好きさんたちに最期まで鳥さんたちを幸せにしてほしいと思ったからです。きっと鳥さんたちの方が先に旅立っていきます。家族になった鳥さんたちが、どうか最期まで幸せに暮らせますように。
きっとこの記事をここまで呼んで下さっている方は優しくて鳥さんが大好きな人だと思います。その気持ちを忘れず、これからも鳥さんたちと幸せライフを過ごして下さい。私も、私の家族たちもこれからも鳥さんたちと幸せに暮らします。
ぽこちゃん、家族になってくれてありがとう。ずっとずっとぽこちゃんのことが大好きだよ。