【ネタバレ注意】ヴェネチア国際映画祭最高金賞受賞の「ジョーカー」を考察

はじめまして!マベ太郎です!ちくさんと一緒にブログをやらせて頂くことになりました!

僕はちくさんとは違って、映画に関する記事を書いていこうかな。と思っておりますので、もし興味があったら見てもらえたらうれしいです。よろしくお願い致します。

 

さて、さっそくですが、今回の記事は、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した話題作「ジョーカー(JOKER)」。
本作はアメコミの中で最も有名である、ヴィラン「ジョーカー」の誕生の物語です。
その衝撃的な内容もさることながら、この映画の結末にはいろいろな解釈ができるということもあって、ここで僕の考察を書きたいと思います。

ジョーカーとは?

まずは、すでに映画鑑賞済みの方もいると思いますが、
未鑑賞の方で内容がよくわかっていない方のために、予告編を。

 

ストーリー
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。
都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーにひそかな好意を抱いている。
笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか?切なくも衝撃の真実が明かされる。

ジョーカーHPより引用

 

 

<これ以降はネタバレを含む内容となっています>

 

僕の考えたこと

今回取り上げた、ジョーカーという作品は主人公である、アーサーの妄想の世界と現実の世界が入り組んでいると思われます。

例えば、同じアパートに住んでいる、ソフィーとの関係。
アパートのエレベーターで一緒に乗り合わせたことを機に仲睦まじい姿を見せています。特に印象的なのが、アーサーの母親である、ペニーが脳卒中で倒れた際に二人でベットそばの椅子に座り、ペニーを見守っていました。まるで二人は恋人のように。

ですが、アーサーが自分の出自を知り、失意の中でソフィーの部屋に上がった時、ソフィーは「早く出ていって!確かアーサーって人よね?」と血相を変えて叫ぶのです。その様子は今までのソフィーとは全く違い、まるで赤の他人であるかのように。

この一連のシーンでわかるのは、今まで仲睦まじい二人の姿は「アーサーの妄想」であり、現実の世界ではエレベーターで少し言葉を交わした間柄でしかなかったと思います。
このように、映画の中にはアーサーの妄想と現実が織り交ぜられ、どれが妄想で現実かがわからないようになっています。

そして、個人的には「ジョーカー」という映画そのものが「すべてがアーサーの妄想」であると思っています。
というのも、本映画の最後のシーンで病院で、カウンセラーと面談を行っているシーンがあり、そのシーンの中で笑顔を浮かべて、「ちょっとジョークを思いついて。君には理解できないさ。」とつぶやきます。

まさに、このシーンで思いついたジョークというのが、この映画なのではないかと思っています。

社会の底辺を大道芸のピエロとして働き、ギリギリで生き抜くものの、病院での面談と薬の処方は途絶え、閉店セールで客寄せを行えば、看板を盗まれさらにはリンチにあう。護身用だと言われて、同僚からもらった銃が原因で会社からは解雇される。病気のせいで、笑いたくもないのに笑いを堪える事もできない。ショーの舞台では失敗し、憧れのコメディアンからも馬鹿にされ、それをテレビで放送され、大衆から笑いものにされる。まるで、社会的強者に遊ばれているかのように、圧倒的な弱者を演じさせらている。

それとは逆に、殺人ピエロとして同じ社会的弱者の怒りの体現者として、弱者を先導し怒りや不満を爆発させるきっかけを作り、やがて大きなうねりとなり、社会的強者の代表である、トーマス・ウェインに凶弾に倒れさせることで息子であり、のちのヒーローバットマンとなる、ブルース・ウェインに絶望を与える。

そんなジョークを実現する者「ジョーカー(JOKER)」として、現実世界を混沌に陥れる人間になることを妄想して、笑みがこぼれてしまったのでしょう。

そして、このシーンのあとでアーサーは血の足跡をつけながら、病院の廊下をゆっくりと光に向かって歩いていきます。自分が考えた妄想を現実のものとするために。

他にもいろいろな解釈があると思いますが、これがわたしの考えた解釈です。

どうでしたでしょうか?一つの解釈として、楽しんでもらえたらうれしいです。

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