家族の幸せとは何か?を問いかける映画「家族を想う時(原題:Sorry We Missed You)」感想記事

こんにちわ。おはようございます。こんばんわ。マベ太郎です。

今回も映画に関する記事を書いていきたいと思います。

 

今回の記事は、効率を求めすぎた現代社会とその変化に巻き込まれてしまった家族を描く映画「家族を想うとき(原題:Sorry We Missed You)」の感想を書こうと思います!この映画は家族が壁にぶち当たり、その壁を壊していく!なんていう単純な映画ではありません。監督のケン・ローチさんが描き出した、この世界を体感してもらいたいです。

 

家族を想うとき、とは?

家族を想うとき という映画は、イギリスのある家族の話です。マイホームを夢みて個人事業主として新しく宅配ドライバーとなった父親リッキー、介護士で心優しい母親のアビー、反抗期に入った息子のセブ、真面目で優しい娘のライザ。このどこにでもいる普通の家族を通して現代の効率化という世界の流れや歪んだ社会環境の中で働く人の実情をまざまざと見せつけてくる映画です。なかなかこの説明だけだと、観たいという気持ちにならないかもしれませんが、まずは予告編を観てもらえると嬉しいです。

 

<ストーリー>

舞台はイギリスのニューカッスル。ターナー家の父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーはパートタイムの介護福祉士として1日中働いている。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──

家族を想うとき 映画HPより引用

映画の見どころ

ここからは自分的な映画の見どころとか感想を書いていこうと思います!

家族の行く末

今回の映画では、家族の幸せとはなんなのか?という事が描かれています。。本作の物語は父親のリッキーが、家族の幸せな暮らしのためにマイホームを夢見て、フランチャイズの宅配ドライバーになるところから始まります。以前、マイホームを購入し、建築関係の仕事に従事していたリッキーでしたが、一転、銀行の問題でマイホームを手放さざる負えなくなり、さらに仕事もクビになってしまいます。そんなリッキーが再起をかけて、宅配ドライバーになります。ですが、これを機に家族の形が少しずつ変わってきてしまいます。宅配ドライバーをやるためには、荷物を運ぶための商用車が必要であり、その商用車を購入するために、介護職としてパートで働く妻アビーが使っている車を売るしかありませんでした。アビーは、リッキーの勢いにおされ、しぶしぶ車を手放しましたが、それによって移動がバスになり仕事に割かなければならない時間が今までよりも長くなってしまいます。さらにその影響で家にいる事が少なくなり、家族とのコミュニケーションが減ってしまいます。当然、息子のセブ、娘のライザとの接する時間も少なくなり、セブは学校に真面目に行かなくなり、友達と市内のいろいろなところに自由にグラフィティアートを描くようになり、その事で家庭内の喧嘩が増えてしまいます。家庭内で飛び交う大声のケンかは娘のライザに少しずつストレスを与えていき、やがて大きく変わっていってしまいます。家族の幸せのために。と始めた宅配ドライバーの仕事によって、少しずつ狂ってしまう家族。幸せのために働いているはずなのに、何もかもが思った方向と違う方向に行ってしまう。この映画のワンシーンワンシーン、少しずつ小さな幸せが奪われていく、その切なさとやるせなさ、そして家族の行く末がこの映画の見どころのひとつです!

原題:Sorry We Missed You の意味

本映画の題名は「家族を想うとき」ですが、原題は「Sorry We Missed You」です。この原題のSorry We Missed Youは普通に訳そうとすると、「ごめんなさい、私たちはあなたと会えませんでした。」程度の意味なのですが、それだけではなさそうです。この映画を観るとわかります。この言葉は宅配の不在票に書かれている言葉でした。イギリスの不在票にはSorry We Missed Youと記載されており、おそらく「申し訳ありません、お届けに上がりましたが不在でした。」というような内容なのでしょう。それがなぜ、原題になっているのか。一つには、宅配ドライバーとして、そして激務の介護職として働くリッキーとアビーの二人の親が、息子であるセブと娘であるライザの本当の気持ちをわからなくなってしまっている、という意味で、この原題が使われているのではないかと思いました。「ごめんなさい、あなたたちの本当の気持ちを見失っていました。」なんて意味で使われているのかな~なんて。また、もう一方の意味としてはこの映画で出てくる宅配ドライバーという仕事に関連した意味として存在するのではないかと思いました。というのは、そもそも何故、宅配ドライバーがこんなにも激務であるのか?それは、時間通りに宅配を届けなければならない、その要求が全ての宅配物にあり、ドライバーの自由を雇用主が奪っているという点、そして、お届けに上がっても不在であるという点。不在である事がドライバーを苦しめているということで、その際に提示する不在票の文言を表題にしているのではないかと思いました。まぁ~何を言っているんだかわからないですね!笑。いろいろな意味が含まれている題名に関して、みなさんはどんな事を思いますか?もし、よかったら作品を観てみて、思いをはせてみてください。

個人事業主、オンコールビジネスの歪んだ実態

そして最後に、個人事業主やオンコールビジネスに関してです。この映画ではリッキーは個人事業主として働く事になります。あれ、宅配会社に雇われる事になっているのではないか?と思いきや、あくまでも宅配会社は個人事業主に仕事をお願いしている。という形でビジネスを行っているため、宅配会社が何か保険や保証をするわけではありませんし、雇用するわけでもないのです。したがって、仕事をもらって、その仕事をこなせば報酬はもらえるものの、逆に、家族に何かがあった時、自分に何かがあった時に、有給休暇を使って休みを取るという事もできず、さらに言えば、自分が受けている仕事を個人の理由で断る事になるので、罰則が科される事になるのです。そんな事があってよいのでしょうか?宅配会社側からすれば、安く人材を得る事ができ、もし自分の会社の宅配便が少なくなってしまった時にすぐに個人事業主と契約を切ればよい。簡単に言えば、都合よく使える駒でしかないのです。ですが、そういったところで仕事をしなければお金を稼ぐ事ができない。身を切りながら、日銭を稼ぐしかない。そんなシステムが世界が求める世界なのでしょうか?きっと違います。誰かが、自分の利益のみを追い求めてしまうからこのような歪んだシステムができあがってしまったのでしょう。この映画では、個人事業主のそういった弱い立場の面もしっかりと描かれています。また、妻で介護士のアビーもオンコールのビジネスをしています。オンコールとは、呼び出しが掛かった際に、すぐに対応を取らなければならない仕事です。今回の場合は必要とされた時にすぐに介護に駆け付ける必要があるというビジネスになります。ただ、このビジネスにも歪んだ点があります。というのは、必要とされた時にすぐに対応ができなければならないという点です。という事は必要とされた時にすぐに対応できるような状態に常になっている必要があります。そう、いわゆる待機の状態に常になければなりません。しかし、待機の状態にあっても、まったくお金はもらえません。あくまでも自分が仕事をこなし、そのこなした仕事に対してのみ報酬を得られるのです。そんな事があってよいのでしょうか?たしかに仕事はしていないので、お金は支払われないというのは仕方ないかも知れません。ですが、常に待機の状態では自由などありません。たとえば、家族でどこかに出かけている時でもいつ連絡が来るのか?と気にしながら出かけなければならない。そんな事で家族が幸せになるのでしょうか?また、そんな仕事のやり方を拒否するのであれば、仕事さえももらえない。しかも、アビーは車もないため、移動はバスを使います。もちろん、バス代も支払われません。そんな社会で良いのでしょうか?そして、そんな本当の弱者を救済する、援助する法律や規則もない。これでは弱い者は弱く、強いものはさらに強くなる。そんな世の中になってしまいます。この歪んだ世界のシステムをしっかりとみせつける。そして、これでいいのか?と疑問を投げかけてくる。そんな作品でもあります。

 

さて、今回の感想はどうでしたでしょうか?万人受けしない映画かも知れませんが、それでも見る価値がある映画だと私は思います!そして、この映画を観る事で社会システムだどれだけ強者のためにあるものになってしまっているのか?そういう事にも気づく事ができるようになります。もし、興味が沸いたら、上映情報を確認してみてください。誰かの役に立てばという事で下に劇場情報も載せておきます!

劇場情報

もしくはDVDやストリーミングでも良いので、観てもらえると嬉しいです。それではまた~!

 

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